サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(11)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

vol.1 けいちゃん

3.学びたい

 

もう怖くない。
言葉が読めるようになったから。人が話していることを理解できるようになったから。
自分の気持ちを、考えを日本語で話せるようになったから。

すべては学校に通うようになってからがらりと変わっていきました。

 

●漫画に夢中になって

出会った当初は夫とは英語でコミュニケーションを取っていたこともあって、フィリピンではまったく
日本語を習いませんでした。
日本に来てから必要に迫られて勉強を始めました。
勉強といっても、まったくの独学で日本語教室や日本語学校には通いませんでした。
日本での夫とのコミュニケーションはカタコトの日本語で、英語が混じることもしょっちゅうでした。

 

家事や子育てに忙しい日常の中で、どのようにしたら一人で勉強できるか考えていたところ、たまたま
出合ったのが少女漫画でした。
ある時、コンビニエンスストアで漫画本を見つけて手に取りました。
読み仮名が振ってあるし、絵もあり、動きもわかるので、ストーリーがわかりやすかったのです。
読み始めると瞬く間に夢中になり、続きが楽しみで仕方がないほどでした。
その頃のお気に入りの漫画のタイトルは忘れてしまいましたが、ほとんどラブストーリーやコメディ
だったと思います。

また、テレビのドラマも日本語の勉強になりました。
日常的で自然な会話で構成されているので、テキストから学ぶよりも感覚的によくわかりました。
こうしたエンターテインメントのコンテンツを通じて、子育て中も楽しみながら日本語を覚えていきました。
時々、夫からは「関西弁を覚えて」と言われました。
夫、息子たちと、身近な家族が男性ばかりだったので、私の会話はいわゆる「男言葉」だと言われることも
ありました。

 

 

●学校へいく!

マサヤンタハナンに参加するようになったころ、メンバーのKさんから夜間中学校のことを知りました。
夜間中学校は、戦後の混乱期で義務教育を修了できなかった人や、止むを得ない事情で義務教育を断念した人、
出身国で義務教育を修了しなかった外国籍の人などさまざまなが学ぶ公立の中学校のことです。
必要な勉強をすることができなかった人のために、外国人にも門戸を開いている学校があることを聞いたことは
あったのですが、どこにあるのか、どうやったら入学できるのか、私も夫も知らなかったのです。
夫は、知っていたらもっと早くに行かせてあげられたのにと後悔していました。

 

最初、私には難しくて授業についていけないのではと懸念していましたが、Kさんが「通うようになったらだんだんわかるようになるから大丈夫」と背中を押してくれ、入学を決意しました。
フィリピンで学校を中退して働いてきたため、私はずっと学校に行きたいと思っていました。
彼女の後押しは本当にありがたかったです。

 

中学校での生活は本当に楽しかったです。
内容が日本語学習だけではないというのがとてもよかったのです。
日本語の読み書きだけではなく、さまざまな科目の勉強ができました。
中学課程の勉強を修了できれば十分と思っていましたが、中学3年生が終わる頃に担任の先生が、せっかくこれまで勉強してきたことがもったいないから高校へ行ってみたらと促してくれました。
さすがに私も高校は難しくてついていけないだろうと心配でしたが、杞憂でした。
その後、定時制高校に入学し、授業もついていくことができて、今では高校3年生になりました。あと1年で卒業を迎えます。

 

どの科目の授業も楽しいのですが、一番好きな科目は、選択科目の「情報」、つまりパソコンの学習時間です。
この科目を学ぶまで、パソコンを適当に使っていたのですが、せいぜい翻訳で使うソフト(Microsoft Word)の必要最低限の機能しか使えませんでした。
しかし授業でパワーポイント(Microsoft PowerPoint)を教わったので、ぐっとパソコン活用の幅が広がり仕事にも
役立ちました。
パワーポイントをマサヤンタハナンのパンフレットとニュースレターの編集で使ってニュースレターが完成したとき、担当の先生に嬉しさのあまりわざわざ見せにいったほどです。
パワーポイントを教えてもらったおかげでできました、と報告すると、先生も嬉しそうでした。
学んだことを即活かせると、学習への意欲も高まります。

 

<続く>


<奈良雅美プロフィール>奈良雅美プロフィール写真
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。

小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。