第16話 けいちゃん「父への憤り」1

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.1> けいちゃんの場合

父への憤り

 

父はいても、いないのと同じ。

家族への責任感も思いやりもない父。
家族を支えるために、私が働かざるを得ない状況に陥ったのは父のせい。

なのに、父に愛されたいという思いも心のどこかにある。
矛盾した思念がない混ぜになって私の頭の中をぐるぐると回る。

 

家族を蔑ろにし、働かない父にはずっと怒りを感じていました。
今でも、鮮明に覚えているエピソードがあります。
妹が中学卒業の時、お金がなくてプレゼントを用意することができませんでした。
フィリピンでは通常は、お祝いしたり、プレゼントをたくさんあげたりするのですが、私は妹にしてあげられることがありませんでした。
すると、当時私が働いていたハンバーガーショップのスタッフたちが、妹の中学卒業を知っていて、「卒業式の帰りにお店に寄って」と言いました。

 

妹は、父にトライシクル(三輪自動車)で卒業式会場に送ってもらう約束をしていましたが、父は約束の時間になっても現れませんでした。
実は父は、非常に外面がいい人で、ちょうどその日甥が車で事故を起こしたからお見舞いに行っていたというのです。
事故を起こしたといっても、だれも怪我をしていなかったそうです。
にもかかわらず、妹の卒業式よりもお見舞いを優先したのです。

送迎の時間に父がやってこなかったので、仕方なく別の人に頼んで妹を学校に送っていってもらい、母と私たちきょうだいは後から学校に行きました。
結局、父が学校に来たのは式が終わってからで、なぜかわざわざ叔母の家のジプニー(小型の自家用バス)に乗ってきていました。
さあ帰ろうと父が言いましたが、私はハンバーガーショップに寄る約束があるので、先に帰ってと家族に言いました。すると、きょうだいも母も、父のジプニーには乗らないで、私と一緒に帰ると言い出しました。
仕方なく父は一人で帰っていきました。

 

ハンバーガーショップに寄ると、同僚が「みんなで食べてね」とハンバーガーや飲み物を用意して持たせてくれました。さらに、ハンバーガーショップのまわりにある、バーとかお店のスタッフも妹が卒業式だったのを知っていて「私たちの気持ちだから」と言ってお祝いのお金を集めてプレゼントしてくれました。
周囲の人に、みんなの妹みたいに可愛がってもらい、本当にありがたかったです。

 

実はつい先日、妹がフェイスブックのメッセンジャーで写真を1枚送ってきて「これはいつの写真だったかな」と尋ねてきました。
写真に写るみんなは家で嬉しそうにハンバーガーを食べていました。
父は写っていません。
そう、それは妹の卒業祝いをしたときのものでした。

 

私は、自宅でのお祝いの会の後、翌日仕事だから先に寝るねと言って寝ましたが、父はその夜遅く帰ってきて、母やきょうだいに、こう言い放ちました。
「これから父に期待するな、自分たちで生きていけ」と。
このことを後から聞き「今までだってなにもしてくれてないじゃない」と、憤りました。
その日から父は家を出て、すぐ隣の実家に転がり込んだのです。

 

父が家を出て行った後のこと。私が外で水汲みをしようとしたら父方の祖母にひどいことを言われました。
「ここまで大きくなったのは誰のおかげなの、自分一人で大きくなったみたいに。なにをそんなに偉そうに、親に向かってなんでそんな仕打ちをするか」となじられたのです。
祖母は「自分の親にしたことは自分に返ってくるよ」と言いました。

「私はなにもしていない!」と文句を言おうとしましたが、フィリピンでは年上の人に口答えしてはいけないので、ぐっと我慢しました。ただ泣いただけでした。なんで私が責められないといけないのと思いました。
母は祖母に、妹の卒業式の後の事情を説明してくれましたが、祖母には信じてもらえませんでした。
母が私を庇っていると思われ、信じてもらえなかったのです。父がかわいそうと祖母に言われました。

私は、きょうだいたちのために一生懸命頑張っただけです。
なんでそんなふうに思われるのかと悲しい気持ちになりました。

それから祖母は口を利いてくれなくなりました。
なんでこんな態度を取られないといけなかったのか、今でも悔しいです。
祖母からごめんねと一言謝って欲しかった。
私は祖母が元気なうちになにかしてあげたかったけれど、それ以降あまり私と口を利いてくれなかったから、なにもできませんでした。
だから、それだけはすごく辛かったです。

 

▶︎第17話 けいちゃん「父への憤り」2 へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。