File.1-16 父への憤り2

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.1> けいちゃんの場合

父への憤り(前回のつづき)

 

●借金を重ねる父

父は家に戻ってきましたが、結局1年ぐらいは「家出」していました。
でも家出している間も、父の家出先の実家は隣だから父がいるのは見えました。
以前からほとんど家にいなかったので、家出といってもなにも変わりはしませんでした。
もともと父は家にいても、ごろごろしてテレビをみたりするだけでした。
ごはんの時だけ、家族のところにやってきて食べるのです。
私たちが食べるのに困っているかいないかはまったく気にしませんでした。

 

父は仕事らしい仕事に就くことはありませんでした。
わずかに仕事をしたのはフォード・モーターに勤めたときだけ。
私が勤め始めたころ、父に仕事で使って欲しいと思ってトライシクルを買いましたが、父は仕事ではなく日々遊びに行く足代わりに使っていました。
トライシクルでブラブラでかけては、麻雀であちこち借金していました。

フィリピンでは、消費者金融ではなく知人から借りることが多いのですが、父に借金の返済を求めていろいろな人がよく我が家に来ていました。
結局その借金は私が返しました。
家の土地は父が親からもらったものだけれど、何度も父が借金の担保にして取られていました。
その度に私は土地を取り返しました。数え切れないほど何度もお金を返しました。
父の借金自体は小さな金額でしたが、返済していなかったので大きく膨らんでいました。
トータルで、日本円にして200〜300万程度は私が払ったと思います。
借金の返済だけはありません。家も私がお金を出して建て直しました。
父に代わって、文字通り家を支えていたのです。

 

麻雀にのめり込んでいた父は、私がプレゼントしたものもすぐ売ってしまいます。
父に日本から送ったプレゼント、たとえば指輪とかも売ってしまいました。
結局その指輪はどこにいったかわからなかったので、取り戻せませんでした。
母にプレゼントしたCDカセットレコーダーも、父は黙って売ってしまい麻雀に注ぎ込んでいました。
父が売り払ったものを、私はできるだけ取り戻しました。

父に秘密にしていることがあります。
父がこれまで何度も担保にしてきた家の土地を、私が最後に取り戻していることです。
そのことを父には黙っていて、権利書関係の書類は隠しています。
お金を借りていた人にも、私が返済したことを父に言わないで、父と顔を合わせたらお金を返してくれと言ってほしいと伝えています。
なので、家をいつか追い出されるかもしれないと父は思っています。
こうして父が調子に乗って、また借金をしないように予防をしているのです。

 

▶︎File.1-17 父への憤り3  へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。