<サンパギータFile.2>マユミさんの場合
全部含めて、日本が大好き
幼いころ、サンリオキャラクターの靴を履いて踊っていた、あの頃から、きっと今の私に運命の道は繋がっていたんだと思います。
今はインターナショナルスクールで英語保育の仕事をしています。また明石市内のNPO法人「まんまるあかし」でも、子ども向けの英語教室を3つ受け持っています。今後は、介護の仕事もどうかと言われていますが、私はちょっと気が進みません。おばあちゃん、おじいちゃんは好きだけれど、体が弱くなったらいなくなります。だから介護の仕事は辛いです。でも、子どもは楽しみです。これからどう成長していくか、見ているだけで元気も勇気ももらえるから。体は疲れるけれど、子どもを見るとメロメロになりますね。子どもって面白いですね。
徐々に自分の道を見つけて、こうして今、自分らしいと言える仕事を見つけることができました。最近の自分にとっての自信は、「子育て支援のサポーター」のセミナーを受けて資格を取れたことです。自分のハートに羽が生えたみたいなの。この資格が履歴書に載せられるのも嬉しい。
これからの夢は、本当はね、私は昔から人を支援する活動がしたいのです。人の役に立つことをしたい。
昔は、外国に行ってボランティアをするPeace Corpsに入りたかったのです。日本の青年海外協力隊みたいなものですね。私は医者になりたかったと言いましたが、それは医者ならどこでも人を助けることができると思ったから。私がお金持ちだったら、そういう方向に行っていたと思います。困っている人を助けたい。
子どもが大きくなったら自分の時間が取れるから、自分の夢を実行したいと考えています。アメリカにいるときは「ガブリエラ」の活動に参加していました。マイノリティのための活動をしたいという気持ちが強いのです。
お金は大切かもしれないけれど、人間のほうが大切です。私が人の役に立つことをしていたら回り回って息子に返ってくると信じています。もちろん実際の人生はもしかしたら違って、誰かを支援する活動はできないかもしれないけれど、誤った道には絶対進まないと決めています。
日本は大好きです。この国で私はいろんな経験をしました。
差別されたこと、暴力を受けたこと、悪い人と会ったこと、全部含めて、日本を愛しています。私の子どもは日本人でよかったと心から思います。日本人だから嫌という気持ちはいっさいありません。パパはフィリピーナの悪口を言いたい放題でしたが、私は絶対言わない。子どもが日本人だから。言ったら自分自身を裏切っていることになります。「嫌なら、じゃあなんで日本にいるの? 文句言うな」と。
日本人の真面目さ、優しさ、正直なところ、中途半端なところ、甘くないところに、私はとても憧れています。日本の人たちはとても大好き。フィリピン人ももちろん愛していますが、自分の国の人より、日本人のほうが好きといっても過言ではありません。人を大事にしてくれるし、ものづくりを大事にするところはとても尊敬しています。この国で長年お世話になってよかったと思います。私の受けた暴力は一部分に過ぎません。いい勉強になりました。そんな悪い状態にはならなかったですから。
私は大人になることができ、もっと強くなれました。フィリピン社会で暮らしていたら、私はこれほど成長できなかったのではと思います。
ここ日本で住もうと思ったら勇気がいります。心の準備や、覚悟が必要です。あなたは100%の覚悟をしないといけません。新しい社会で新しい人生を始めるのですから。
こういうお話をすることは初めてです。恥ずかしいことだから、オープンにできませんでした。
今は、こうして私の話で誰かを励ますことができるなら、嬉しいです。こういうところは私も似てるな、こういうときはこうすればいいのかな、そういうふうに受けとめてくれたらと思います。
日本人は気づいていないと思いますよ。私たちが日本の人たちをどれだけ愛しているかを。こうして物語にならないとわからない。
私はできるだけ言葉で伝えていきたいです。
「仮名どうしましょうか?」と私が尋ねると、「マユミでお願いします」と彼女。なぜと聞くと、タガログ語にも「マユミ(mayumi)」という言葉があり「上品な」という意味で、好きな言葉だからと言う。もし女の子が生まれたら、「マユミ」という名前にしようと思っていたそうだ。
実現はしなかったけれど、こうしてフィリピンと日本をつなごうとしている彼女の思いが、私には嬉しかった。
<サンパギータFile.2> マユミさんの場合 了
奈良雅美(なら・まさみ)
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。