File.4-3 フィリピン学校教育の苛烈な競争

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.4>愛さんの場合

フィリピン学校教育の苛烈な競争

 

74点以下は不合格。一つの科目でも不合格があったら進級できない。
強いプレッシャーで食事も喉を通らない、外に出るのも億劫になったりする子どもいる。
まだ小学生なのに。

 

子ども時代は「競争」があって大変だったという思い出が強いです。日本と違ってフィリピンの学校では何かにつけて競争があるのです。日本はたとえば小学校では何点と点数をつけられないじゃないですか。だから競争がないでしょう。でもフィリピンでは1年から1、2、3番と順位づけされるのです。卒業するときに1、2、3番と書かれた順位のカードを渡されるんです。100点が満点ですが、大体1番でも98点とかです。
子どもたちは小さな頃からめっちゃプレッシャーかけられるんです。学校の先生の判断なので、子どもが頑張って「私が一番だ」と思っていても、先生の主観で決められてしまいます。一生懸命に競争しなければいけないことが子どもたちにはストレス。私も1年、2年のときは2番、3番になれても4年生になると急に勉強が難しくなって、その順位を取れなくなりました。急に成績が落ちるのはいややなあ、という気持ちがあるから、夜遅くまで勉強したり。自分が遊びたいとか、したいことを後まわしにして勉強しなければならないのです。
今、娘を見ていると、私の子どもの頃と全然違う。私は娘の環境のほうがいいなと思う。フィリピンでは自分のペースではいかれない。テストは75点以上が合格ですね。74点以下は不合格で、点数が赤字で書かれます。全部の科目の中で1つでも赤字の点数があると進級できないのです。
担任の先生が怖いんです。担任の先生の判断で「あなたは落第だからね」と言われるのが怖い。だから、私が頑張っている姿を担任の先生に絶対見せなあかん。公立も私立も同じ考え方で教育しています。
日本にはその仕組みがないから、それがフィリピンと日本の大きな違いです。教育の面では、私は日本のほうがいいと思います。

暗い教室

6年生になったら児童代表を選びますが、必ずトータルで90点以上の子どもから選びます。立候補している子どもたちが3人いたら、全員90点以上だなと全児童から見られます。児童代表になったら加点されるので、さらに競争があおられます。
中学校に進学してもさらに競争は続きます。大学に行ったらあまりないのですが、やり方は同じ。競争もありますが、大学になると子どもたちの考え方は大人に近くなるので、負けたくないという競争心は少しずつなくなる。中学までは、競争心が強いのであの人には負けたくない、という思いが強い。1番で入学すると、2番に落ちるのが怖いのです。ご飯が食べられなくなったり、外に出られなくなったりすることもあります。すごい、むっちゃプレッシャー。まだ小学生なんだよと思います。
だから日本のやり方のほうがいいかなと思います。他の国は知らないけれど、今私は日本の教育関係で仕事して、そう思います。フィリピンにも塾はありますが、ほとんど行かないです。学校の勉強だけでも大変なので、塾の宿題はできません。
最近はフィリピンの多くの先生は、子どもたちがかわいそうなので、ほとんど75以上の点数をつけるようになりました。ただし、76、75点は青色で書かれて「次は頑張りなさいよ。落第しますよ」と注意を促されます。
今、多文化共生サポーターとして日本で子どもたちの学習支援をしていると、フィリピンから日本にきた子どもたちに、私は聞かれるんです。「先生、私は日本語がわからない。書けない。私は74点なのですか?」私は笑って「ここは落第はないよ!」と答えます。子どもたちは自分が進級できないのではととても心配していますが、私の言葉を聞いてほっとします。
子どもを安心させることが、サポーターとしての私の仕事です。来日する子どものほぼ100%が、この質問をします。

 

日本もそうですが、教育の仕組みが変わることが時々あります。フィリピンでは従来、英語中心で教育が行われていたのですが、ニノイ・アキノ大統領の時代以降、タガログ語が入ってきました。だから、昔の私たちは全部の教科の授業を英語で受けていましたが、今は社会と道徳がタガログ語になりました。日本の学校の子どもたちに見せるために、最近、先生をしている姉が使っていた教科書を日本に持って帰ってきました。算数も英語とタガログ語の両方のテキストがありました。
もう一つ、外国語を増やすという変化がありました。小学校では、もともと英語とスペイン語がカリキュラムに入っています。中学校になるとさらに日本語、中国語、韓国語の中からもう一つ選ぶようになっていて、それぞれの国の文化も勉強するようになっているようです。そうしたところがプラスの変化になっています。

外国語の本が並ぶ本棚

 

私は教育のことは興味があるので、帰国したら必ず学校の先生をしている友だちに連絡をして「行ってもいい?」と頼んで、見学に行っています。フィリピンの学校を見学したことがありますか? セブ島の学校では予約をすると外部の人も見学することができます。父も元小学校教員でしたし、姉は現役だから案内できますよ。
実は、兵庫県の三田市や篠山市の教育関係者や、中学校の先生をお連れしたこともあります。日本の教育関係の方と一緒にフィリピンに行って見学させてもらうと、かならず全校生徒の前で挨拶をさせられるんです。その場では日本語で話してもいいのですよ、私が横で通訳しますので。するとみなさん、忘れられない経験になったと言います。

 

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<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。