File.5-7 偽りの愛

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.5>コラゾンさんの場合

偽りの愛

 

泣きながら。心は泣きながら、プロポーズを受けた。
彼は私を愛してくれているはず、だから、もしかしたら私も彼のことを好きになるんじゃないかな。
そう思って結婚した。

 

彼は2回フィリピンに来てくれて、父に挨拶してくれた。フィリピンで婚姻のサインをし、証明のために写真をとって、家族だけで普通のレストランで食事をした。生きていくために、家族のために、生きていくために。しょうがないと決断しました。
神戸市長田区で彼と住み始めました。普通の恋人同士のように付き合っていなかったから、一緒に暮らし始めて、いろんなことを発見した。
旦那さんには借金があった。お金がないから、働いてくれとすぐに言われた。いやなら働かなくてもいいけれど、あなたの家族の分まで負担するのは無理やでって。借金は、フィリピン人の元彼女のために使ったお金だという。そんなことも、結婚後に初めて聞かされました。元々その子と結婚するつもりだったけれど、彼女が消えた。フィリピンに追いかけていって探したけれど見つからなかったって。結婚エージェンシーにお金を払っていたので、お金を取り戻そうとしたけれど「払い戻しできない、また別の彼女と結婚したらよい」と言われたそうです。
借金はその時のものだけかもしれないけれど、それだけじゃないかもしれない、とも思った。でも、私はそれ以上聞かなかったし、彼はそれ以上言わなかった。結局エージェンシー以外にも、彼女に直接払ったお金があったらしい。お金だけとって彼女が逃げたと。

 

「別に夜、働いてもいいんじゃない」と、めっちゃ冷たく言われた。ちゃんと付き合っていなかったから、そんな人だとは思わなかった。彼は人間好きじゃないし、うつ病ももっていたし、友達もいない、ちょっと変わった人だった。だからそれまで独身だったんじゃないかな。彼としょっちゅう喧嘩して、出ていけと言われた。子どももいらないと言われた。お金も買い物に行く時その都度、数千円渡されるだけ。一番多くもらったので1万円だった。これで買い物して、なくなったら言えばいい。節約してと言われました。
だから私は再び夜に働き始めました。彼には電気代やガス代など、支払いを助けてと言われました。「夫婦やろ。一緒に頑張るんやろ」「助けてくれるでしょ」と言われた。
ああいう言い方されたら、たまらないです。お金は全然いいんです。やっぱりいやだったのは喧嘩ですね。向こうも私にあまり優しくしなかった。

並ぶ酒瓶

 

結局5年間一緒に暮らしたけれど、私はギブアップ。夫婦関係も1年ちょっとだけ。無理だった。
私も一生懸命、いい夫婦になろうとした。私はどうしても仕事の関係で夜遅く帰ってくる。たまには私も夫と話したいけれど、話しかけようとすると明日早いからと拒絶された。彼は大阪で働いているから確かに朝は早い。だから、日曜日、私も仕事を入れず彼に休みを合わせようとした。でも、どっか行こうと誘っても、自分は酒を飲んでるから行かないと言ったり、外へ出かけたとき手を繋ごうとしたら振りほどいたり。彼は自分の気分で動きたがり、私の好きなことややりたいことは断る、自分中心な人でした。
彼の態度で気になったことは他にもいくつかありました。私は、息子をフィリピンから呼びたかったけれど、夫から無理、お金がないと言われ続けました。それでも一度日本に私の父と息子を呼び寄せたことがありましたが、そのとき、彼は家を出たんです。緊張するからと言って、息子たちが到着する前に自分の母親の家に帰ってしまった。その後、一度も顔を出さず、挨拶もしにこなかった。私は父に嘘をついて、夫は遠いところで働いていて、単身赴任だから不在にしていると言ったんです。このときの夫の態度が許せなかった。
また、彼は家のものを触ったらダメだと私に言いつけました。床や壁に傷がついていたら私が怒られた。傷がついたら、家の価値が下がって安くなると厳しく言われました。「この家はお前の家ではない」と。
自由がなかった。仕事終わってお風呂に入ったらうるさいからあかん、とか。部屋も出て行け、隣の部屋に行け、とか。私の気持ちも離れてしまった。一緒に住んでいるだけ。酔っ払ったときに大きな声を出したり、叫んだりして、隣の部屋にいても怖かった。私の部屋には鍵もないし。あと、1回大きな喧嘩にもなったし。
もう無理やな、子どももいらないと言われたし、一緒にいる意味がないと思い、私は家を出たんです。

 

以来、離婚しようと私はたびたび言っていますが、彼は逃げています。在留資格は「永住」を取ったけれど、私も結婚する相手がいないから、ずるずるとこの状態を続けています。もう別居して10年経ちますが、お義母さんにも挨拶に行かなあかんときもあるので、たまに彼と会っています。まだ夫婦は夫婦だけど、一緒におったら喧嘩になる。でもいつか戻るかもしれない。彼に情があるんです。まだ旦那さんやし。なんというか、家族というか。どうやって言ったらいいかな。義務かな。私、彼に感謝しているんです。いろいろあったんですが、あの人のおかげで日本で頑張れているから。向こうも反省しているし。一緒に住むのは考えられないけれど。私の方が彼の様子が気になる。彼は変わってるし、友達おらんし。心配になる。だから、会って自分の気持ちを試しています。戻れるんかなと。別居期間が延びてしまっているけれど、向こうもなにも言わないし。
ただ離婚の話からは逃げる。話をしようとしたらそらす。彼は今61歳。なんていうのかな、彼は離婚したくない、自分の母親がショックを受けるからと言うのです。私の住所も向こうに置いたままなので、請求書も向こうの家に届くし、住所を変えると言ったら、向こうは反対する。やめてって。ずっと繋がっていたいんだろうね。ときどき「帰ってきて」とも言う。彼は愛し方がわからないだけじゃないですかね。そういう人もいる。ちょっと変わっているけど、悪い人ではない。ただ難しいところがある。言葉の問題もあるけれど。すべて彼が悪いわけではない。こっちもできてなかったこともあるから。あまり思い出さないことにしています。もう終わったことだし。私はどっちでもいい。離婚してもいいし、戻ってもいいし。でもわからない。

夕暮れの海

後になって「何のために結婚したの」って彼に聞いたんです。最初は私のことを好きだからだと思っていたから。私が尋ねたとき、彼は答えずに「お前はなんのために俺と結婚したんだ」と逆に聞かれました。私は馬鹿だから、正直に答えた。結局彼自身は私の質問に答えなかったけれど、きっとお金は返ってこないし、自分も歳だし、と思っていたからじゃないかなと思う。私のことを嫌いじゃないとは思うけれど、愛しているというのとは違っていたのだと思う。
私はあの時彼のそういう「力」(日本人男性であること)が必要だと思った。彼と結婚するのは、フィリピンの家族のため、と。私は困っている人。彼もある意味で困っていた人。お互い、無理矢理というわけではなく、受け入れられる範囲だったからじゃないかな。

 

▶︎File.5-8 息子のこと へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。