File.5-6 日本人男性との結婚の夢

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.5>コラゾンさんの場合

日本人男性との結婚の夢

 

半年仕事をしてまた半年フィリピン。仕事のない間は収入がなくなる。1年間仕事がなかったこともありました。
シングルマザーの私を気の毒に思って、援助してくれた日本人の男性もいました。
助かりました。でもいつも不安定でした。

 

1人だけ、長く付き合った彼氏が静岡にいました。私より19歳上。彼は当時40代前半でした。休みの度に会いに行っていました。彼がいるからという理由で、静岡は2回契約しました。その彼からタレント辞めてと言われました。鹿児島の契約が終わったら、俺がちゃんと面倒みるからと。私が26歳のときでした。
だけど、彼は途中で消えたんです。フィリピンに何度も来てくれて、息子も可愛がってくれたし、彼はバツイチだけど独身だったし、私もこの人と一緒になるのかなと思った。ローンだったけれどフィリピンに家を買ってくれた。
ところが家のローン返済の途中で消えた。私がフィリピンに帰国している間に連絡が取れなくなりました。確かにプロポーズはなかったけれど、一緒に暮らそうと言ってくれてたんです。病気になっているんじゃないか、亡くなっているんじゃないか、とめちゃくちゃ心配しました。

雑踏

オーディションを受けて、再び神戸に来ました。そしたら神戸にいる間に、彼と連絡が取れるようになった。その時大変やってん。ローンが払えなくなって、私は刑務所に入れられそうになった。契約は私のサインだったから私に責任がありました。私はそれまで払っていた分もいらないから、私を訴えないでとお願いして、家はできていて、もう少しで鍵をもらえるところだったけれど、不動産会社に返しました。チャラでって。ローンはめっちゃ払っていました。
生きているとわかって嬉しかったけれど、腹が立った。彼は仕事が変わったから給料下がったって、私とよりを戻したいって言った。でも彼が消えた原因は、結局浮気だった。女性のせいで、消えたんです。なんで浮気がわかったかというと、静岡にいる共通の知人が、その人がいるお店に彼がよく遊びにきていたと言っていたからです。彼はお金がないって言っていたのに。お金がなかったならしょうがないと思っていたのです。私はお金のために付き合っていたわけではないから。やり直そうと言っていたけれど、嘘をつかれたらもうむり。なんでそんな仕打ちするん。めっちゃ怒りました。裏切られた。心がボロボロになった。子どもがおらんかったら自殺していたかもしれない。子どものために生きていかなあかんと思った。キッパリ別れました。

 

神戸のお店での契約終了後、フィリピンに帰りましたが、同じお店から指名があり、2週間で再び神戸に戻ってきました。その時には月1000ドルの契約になっていました。それが契約金額の上限でした。
ところが2005年、興行ビザの取得条件が厳しくなり、もう日本に来られなくなりました。ARBの免許も取れなくなり、介護か看護でしか日本には来られなくなりました。それはショックでした。どうしよう。まだ子どもも小さいし、彼氏とも別れたし。どうやって生きていこう。
契約終了後、仕方なくフィリピンに帰りました。

 

次の仕事を探しているとき、ある会社のドバイへ行く面接を受けました。ホテルのウェイトレスの仕事でした。
給料は月に300ドルか400ドル。ご飯も家賃も自分でまかなわなければならない。寮はあるけれど、家賃は支払わなくてはならない。食事はシフトによって賄いのランチがあるだけ。給料が少ない理由は、多分チップだね。私は断りました。お父さんもやめた方がいいと言ったし。
そんなときに神戸のお店のお客さんだった男性からプロポーズされました。私と一緒になろうと思うと言われたんです。まだ静岡の彼と別れて1年も経っていない頃でした。彼は私より17歳年上で、一度も結婚したことがなかった。自分の家もあるっていうし。私、めっちゃ考えました。彼とは付き合ったことがないし、彼のことは好きではありませんでした。愛はなかった。
私の家には私の息子と、異父兄、そして妹夫婦も同居していました。そこに病気ばかりで仕事をしていない父も私の家に同居するようになりました。父が再婚した女性はクスリをやっていていい加減な人で、父の面倒を見なかったんです。とにかく家族みんなお金に困っていました。フィリピンで働いていたら家族を支えるのは無理だな。でも、私も子どもの面倒をフィリピンの家族に見てもらっていたし。どうしよう、色々考えました。
結局、家族を私が一人で抱えてしまったんです。どうしようもなかった。

くすんだブーケ

 

▶︎File.5-7 偽りの愛 へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。