File.2-9 ほんとうの気持ち、ほんとうに大事なもの

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.2>マユミさんの場合

ほんとうの気持ち、ほんとうに大事なもの

 

どうしたらいい? どうしたらいい? 何百回も自分に問いかけました。
私は、私の一番大事なものを守り抜こう。そう決めました。
じゃあどうやればそれができるのか? そして辿り着いたのがある「作戦」です。

 

こんな私の気持ちをわかってくれる人は少なかったです。あなたは暴力をふるわれているのよ、姉も周りの人もそう非難しました。いつも心が痛かった。
私にとってもっとも大切なものはなんだろう。夫も好きだけど、やっぱり息子だと思いました。

母と子の手

だから私は息子を守るため、息子と一緒にいるためにどうしたらいいか考えました。悶々と考え抜いたあと、ある作戦を考えました。そしてそれを試してみたんです。

 

 

日本は、離婚したら、自分の息子に父親は会えなくなるかもしれないということが大きな問題だと思いました。パパは息子のことを好きだから、会えなくなることが嫌で息子を私から取り上げてしまうかもしれません。
だから、会えるようにすればいいのです。
でも、どうやれば、恐怖、怒り、愛が入り混じったこの自分の気持ちを抑えていけるか、暴力を受けないようにして、自分を回復できるだろうか。
私には、やっぱり彼を愛しているという思いがいっぱい、いっぱいあったから。彼に優しくすることで、私たちが家族だったということを彼に強く思い出させたら、彼はどんな反応するだろうかとずっと考えていました。私は、彼に仕返しをしてやりたいという思いも強く持っていました。この思いをパパにぶつけたらどういう反応をするだろうかとずっと想像していました。

 

今はね、私は勝った、勝ったの。「パパ、あなたがこういう結果を招いたんでしょ」と常に考えられるようになりました。パパは息子に会いたい。だけど別々に暮らしていて、それぞれの帰るべきところがある。だから今の私は、相手に支配され暴力を受ける恐怖はもうありません。パパが息子に愛を注げるようにする、それで彼が後悔する、こんな状況を招いたのは自分のせいなんだ、と自覚させる。あなたの愛した子どもでしょう。
どれだけ私が暴力をふるわれたか、その恐怖や怒りを一旦横においてでも、私は彼が父としての愛情を注げるように気を配りました。本当に心から反省させ、いつも「ありがとう」を言わせるようにしました。

 

今、彼のおかげで、バラバラでぐちゃぐちゃだった私がぎゅっと固まりました。パパのおかげです、ほんとうに。
実は離婚後、パパが脳梗塞になって入院したときは私が世話をしました。彼は自分の母親や親類とも仲違いして、ひとりぼっちになっていたからです。私たちは夫婦としてはうまくいかなかったけれど、彼は家族だから。私の思いやりからでた行動でした。あの人は、もともと「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉を言わない人でした。ところが退院するときに、彼は顔を横にそらして「今までありがとう。本当に心からありがとう」と言いました。そして「もう、遅い。もう遅いね」とつぶやきました。私はとうとう勝ったと思いました。
私は彼のおかげで、もっと人間になりました、もっと大人になったというべきでしょうか。そして、もっといいお母さんになりました。とは言ってもやっぱりね、自分が立てた作戦ではありましたが、苦しみました。I suffered. でも息子のために、この人がcoparenting(ともに親として子育てする)して欲しかったのです。私の心としては嫌だけれど、心がズタズタに傷ついたけれど、そのうちにまあいいかと思えるようになりました。パパが息子を愛していると感じられるシーンをできるだけ多く作りたいと思いました。
なぜって? 人生は短いから。パパが私にぜったい怒らないように、私のことでぜったい腹立てないように、努力しました。「私のことを大事にしてくれたね。夫婦ではもうないけれど、ありがとう」と彼には言いました。

 

私の周りの人は「なぜ別れたときにお金を取らなかったの?」と聞きます。でもね、お金は働いたら自分で稼げるんです。慰謝料を取ったら、パパの心にグッと迫ることができなかったと思います。彼の心を揺さぶって、本当に後悔して「ごめんね」って言わせるようにして、彼の怒りで息子をとられないように、私はいい作戦を考えないといけなかったのです。
だから私は穏やかになるという方法をとりました。おかげで、全然違うパパになりました。時々彼は怒ることもありますし、たまに私も怒りますけど。自分の母親ともきょうだいとも仲違いして疎遠になってしまったパパは、親友は私しかいないと今では言います。
息子の大事な行事には、パパを招きました。なぜなら、パパは息子の一部だからです。息子との楽しい時間をシェアしたいのです。人生は短いから悲しむより楽しむほうがいいでしょう? 苦しんだ時代が長かったので、今は話をするとこんなに泣いてしまうけれど。今は、あの経験によってパパは私が人間として成長するようにヘルプしてくれたと捉えています。
当然、ジョセフィーヌ姉さんやエリザベス姉さんはこの作戦には大反対でした。でも私は元へ戻るわけではありません。一度でも暴力をふるわれたことを忘れることはありません。ただ、家族として子どものお父さんとして息子の人生にかかわってほしいと思うのです。私の責任は息子を育てること。だから息子が「ママはやっぱり僕のことを大切にしてくれた、だってパパも参加させてくれて、いつも会わせてくれた」、そう思ってくれるように、パパにはパパとして息子のことを見守ってほしいのです。

父と子

息子には父も母もいる、その楽しみを打ち消したくありません。両親が揃っている家庭とは違う、オーソドックスな家庭の形ではないけれど、パパはパパ、ママはママそれぞれの生活を変えなくてよいままで、家族を息子に見せてあげたいと思うのです。言葉じゃなくて自分のアクションで見せたい。「パパは難しい性格だけれど、パパはあなたのことをとっても大好きだから。あなたのことを大事にしたいと思っているの。パパは私に厳しくいうけれど、問題ないわ」と言いたいのです。一人っ子の母子家庭だから、子どもの心に穴がある、何かを求めている状態になるのは嫌でした。私は、両親から愛情を受けて、幸せな子ども時代を送ることができました。だから息子にも両親からの愛を受けて育ってほしいと思うのです。フィリピンは日本と制度が違って、離婚の制度がないので、子どもはたとえ離れて暮らしていてもいつでも父や母に会えるのが当たり前です。私がここまで息子にとっての両親の存在を重視するのは、私がフィリピーノだからかもしれません。
今は息子も大きくなり、一人でパパに会いに行って一緒に釣りを楽しんだり遊びに行ったりしています。私はとてもハッピーなのです。それだけが私の願い。私の思った通りになりました。だから嬉しい。苦しい中でも私はこんなふうに乗り越えることができるんだと自信を持てました。常に強い心でいないといけないし、すごいストレスを感じましたけど。私はいつもお祈りしています。私は息子のために、自分の心と折り合いをつけて行動していると、やっと心から納得できるようになりました。目が二つあるように、複数の目でみるから、いろんな角度から子どもを見守っていけるのです。「こんな家族の形だけれど、パパがいる。いないわけではない。あなたは空白のところに生まれたわけではない。あなたはパパにこういうところが似てるでしょ、科学、歴史が大好き、とても似ているでしょ」、そういう感じで息子に言い聞かせています。

 

シングルで子どもを育てているさまざまな女性と話をしました。パパと会いたいけれど、会えないという子どももいます。お父さんについて教えることすらしないお母さんもいます。母親の心には大きな穴が空いているから、どれだけ子どもを父親に会わせることが難しいかすごく分かります。頑張っていても、なかなか乗り越えられないものです。
でも、シングルマザーだから、その子どもがかわいそうというわけではありません。いかに、子どものもっている力を最大限に活かす環境を得られるようにするかが大事です。それはお母さんの役目だと思います。

 

自分の考えた作戦を実行できて、今はよかったと思います。パパと仲のよい関係に戻りたいという気持ちじゃないんです。息子がパパの愛を感じるために、気兼ねなく一緒に過ごせるために、パパとの思い出を作るためにと考えてきました。今、パパは62歳だから、残りの人生は長くはないでしょう、だから。
私は、乗り越えるために難しい方向に進んだと思います。本当にすごく難しかったです。
私はパパから辛い目に遭わされたけれど、子どもの動画を見るたびに最高の気分になります。他のお母さんはそうじゃないかもしれません。でも私はこの作戦しか考えられませんでした。

 

昔のボーイフレンドのマイクはアメリカに住んでいるそうです。彼も一度は結婚したけれど、今は離婚しているとのこと。私が夫と別れたことを知って、マイクはまた会いたいと言っています。
だけど私はもう彼に興味がない。私は強くなったから、彼はいらない。彼は歳をとったら自分と一緒に人生を歩んでくれるかなと期待しているようですが、私はいろんなことを乗り越えてきたからそんな甘えは許さないんです。
私は今、どう息子の命を守り育てていくかが、もっとも大切なことなの。男性のわがままには付き合えない、そんな気持ちです。

 

▶︎File.2-10 「痛い」と言えるようになって へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。