File.5-13 一人で生きる気楽さと寂しさ

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.5>コラゾンさんの場合

一人で生きる気楽さと寂しさ

 

将来はフィリピンで田舎暮らししたい。それが一番の夢。
一人だろうが誰かとであろうが、穏やかな暮らしをしたい。生まれも育ちもずっと街だから。のんびりしたい。
小さい商売もしたい。日本に関係のある商売もしたい。まだコロナが流行していて時間があるので、よく考えている。
自分の小遣いくらいだけでも商売したい。

 

 

私は我慢してきたね。息子が小さかったし、夜の仕事は安定がない。稼げるチャンスには頑張らないと、とお金を貯めていた。どこでも遊んでいない。贅沢しない。
家族5人をなにからなにまで面倒を見ていたけれど、正直重たかった。やっと息子が卒業して自分だけの時間ができた。

 

趣味といえば、料理。それから一時は小さなベランダでガーデニングにもハマりました。
夢はフィリピンの田舎の土地を買って、花や野菜を育てること。以前はベランダでバジルやトマト、苦瓜を育てていた。去年はバジルだけ育てた。ローズマリーはなかなかうまくいかない。忙しいし、気持ちの問題もあるだろうけど。だけどいつか真剣にやりたい。日本は土地の問題もあり難しい。夜の仕事を辞めたら、それをしたいと思っています。
それから一人旅。以前にテレビ番組を見ていて、きれいなところがあるな、いつか行きたいと思っていました。今まで付き合った人に旅行に連れていってもらったことはあったけれど。
前はそんな気持ちにはならなかったけれど、たぶん、昔なりたいと思っていた職業に関係があるのかも。
子どもの頃、サイコロジスト(心の悩みや病気の専門家、心理学者)かキャビンアテンダントになりたかったんです。
サイコロジストは、母のことへの関心から。なぜあのような振る舞いをするのか、疑問に思ったから。人間の行動に関心があったんです。キャビンアテンダントは、いろんな国に行きたかったからですね。ビバリーヒルズのドラマみて、アメリカに行きたい、アメリカ人と結婚したいと思ったこともある。
でもだんだん変わっていきました。母が倒れる前に大学に進学できていたら、そのどちらかになりたかった。本当に大学に行きたかった。残念です。
私のベストフレンドと、同じ大学に行ってサイコロジストになろうと約束していたんです。彼女は実現でき、会社の人事部に入って、関連の仕事に就いている。でも私は叶えられなかった。

 

実際に旅に行き始めたのは、緊急事態宣言がきっかけかな。仲のいい友達と京都に行ったんです。すごく楽しかった。それがスタート。

京都 嵐山

そのうち一人でも行くようになりました。仕事がなくなってしまってぽっかり休みができたから、なんかどこかに行こうと思い立ちました。安くなると聞いたので、旅行会社に行って、名古屋か横浜かに行きたいと相談したら、名古屋だったら名古屋だけになるけれど、横浜だったら、いろんなところに行けますよ、鎌倉も近いしと言われて横浜にしました。中華街、ラーメンミュージアムにも行きました。1泊して安いプランで。
初めはドキドキしながらだったけれど、自分の時間、自分のペースで行けるのが楽しくて、それでハマった。
その次はホテルのプレオープンに女友達と2人で行ったり、沖縄行ったりしてめっちゃ楽しかった。宮崎も女友達4人で行きましたね。広島、名古屋、この年はよく旅行に行った。
コロナにかかって考え方が変わった。生きているうちに広い世界を旅したい。世界を見たい。お世話になった人もコロナにかかって死んだ。
人生は短い、やりたいことをやろうと。私は、自分はよく頑張ってきたから、これからは行きたいところへ行こうと決めた。やりたいことをちょっとずつでもやろうと。

 

旅行に行くとワクワクする。行く前の準備から好き。電車を調べて、わからないところに行く。
おととい三田市に日帰りで行きました。間違った電車に乗ったりと失敗もありましたが、それも楽しい。自分で調べたり、電話で聞いたりして。
旅先では自分のペースでゆっくり歩く。何があるかわからない。三田には綺麗な湖があるときいていたので、歩いて探しました。迷って、迷って、やっとその湖を見つけて、すごく感激した。途中、誰もいない公園があって、蛇に注意と書いてあって、びっくり。もし噛まれて、こんな誰もいないところで死んだらどうしようと思ったり。行こうか引き返そうかと迷いながら、それでもチャレンジしたり。そんなチャレンジが楽しい。
それに、一人だと食べるものも気をつかわなくていい。日本人と行くと、私がフィリピン人だから食べるものに気をつかってくれる。でも私はあっさりした味の方が好き。洋食に行くことに決めてくれても、彼女が「私そばが食べたいな」って呟いたりするのを聞くと、あ、気をつかわせたなって思う。それも楽しいけれど、たまには自分のペース、自分の好みで行きたい。お互い気をつかうから。
いつか車の免許を取りたいなと思っています。でも教習所の費用が高いですね。車、乗ると酒飲めないね。私、飲むのも好きやから。
私の旅行の目的は自然と人に出会うこと。何をメインにするかは、どこに行くかによる。そこにしかないものを楽しみたい。
これから北海道に行ってみたい。岐阜、大分、静岡にも。まだまだ行きたいところがたくさんある。それが今の私の生活のモチベーションかな。

 

でも、今すごく寂しい。
去年フィリピンに一時帰国したのですが、息子も大人になって社会人になって独立して彼女もできて。それはすごくありがたい。妹も新しいパートナーをみつけ子どもも生まれた。異父兄も独立し自分の会社を作った。
私の役割が終わったのが、ある意味ではいいけれど、本当に寂しくて。
私の居場所がなくなった。みんなそれぞれの居場所を見つけた。私は一人。これからどうする。このまま一人でいいのか。相手がいないから、別居している旦那さんのところに戻ろうか。フィリピンへ帰ろうか。今一番の悩み。気持ちは半々。日本にいてもいいけれど、一人は寂しい。フィリピンへ帰っても一人になりそうな気がする。
みんな育っていて、それぞれ自分の人生があるのはわかっている。それぞれの生き方をリスペクトしている。なにも言うことはない。息子にも自分の好きなように生きなさいと言っています。私に気をつかわないでと。
だから、これからの私の自由を旅に費やしたい。私ももうすぐ45歳だから。思うように生きていい頃でしょ。

夕陽の当たるベンチ

 

クールでキリッとした表情が印象的な彼女。聞き取りが終わって、名前をどうするか尋ねたら、即座に「コラゾン」でときっぱり。それはどう言う意味かと聞くと、スペイン語で「心」だという。そしてポツリと「お母さんの名前やねん」。

 

彼女の中で亡くなった母への想いが続いていることにハッと気付かされた。
彼女は、家族からの自由を求めながら、それでも家族と繋がりつづけているのだろうか。

 

<サンパギータFile.5> コラゾンさんの場合 了


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。