File.5-11 学校に行けなかった私は人から学んだ

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.5>コラゾンさんの場合

学校に行けなかった私は人から学んだ

 

日本への渡航を重ねるたびに、私の日本語は上達した。ヒアリングが大事だった。
人の話を聴きながら、わからない言葉を辞書で調べたり、メモをしたりした。
助詞の使い方がわかるようになったのは最近です。いつ「を」や「へ」や「が」や「は」を使うのかが、一番難しかった。

 

日本語が上達したのは、夜に日本人のお店で働くことが多かったからかも。今のお店ももう7年。ママは韓国人だけど子どものときから日本で暮らし、帰化している人だから、お店も日本語だけ。私もフィリピンの友達はあまりいないし、家族としかフィリピン語を話さない。日本人のお店では話さなかったら指摘される。お客さんも退屈するからよくないので、できるだけずっとしゃべる。それが仕事だから。
日本語は自分で努力した。学校は行ってない。先輩やお客さんに教えてもらった。わからない言葉や覚えたい言葉をメモして、辞書を持ち歩いてしょっちゅう調べていた。
テレビをみたり、歌を聴いたりするのも勉強になった。特にカラオケは勉強になったね。歌詞にはふりがながふってあるから、ひらがなが読めたら歌える。ひらがなは「あいうえお」の本を見ながら勉強した。あいうえお、かきくけこ。そこからですね。仕事場で待機の時間、カラオケの本を見て、あいうえお、と読んで覚えた。トイレの中の貼り紙でも、お店のポスターでもなんでもどこでも読む。
とりあえず、ひらがなを読むことから。

カラオケ

歌が好きだから、日本の歌を覚えたいと思い、歌で日本語を勉強した。アルファベットのメモを見ないで歌えるようにするのが目標だった。よく選んだのは、MISIAとかKiroroの歌。覚えるまで繰り返し。
読めない漢字はお客さんに聞いていました。同じ漢字を見ると覚えるじゃないですか。だんだん自分がアップデートされていった。毎晩カラオケやから、お客さんとはそんな深い話できないじゃないですか。だから歌。あまり英語の歌を歌うとお店から怒られるから。お客さんは日本語を歌った方が嬉しいじゃないですか。デュエットとかよくしていたので、覚えました。努力ですね、やっぱり。
メモを見ずに歌うという目標がなかったら、日本語の勉強は難しかったかもしれない。同じ店にいる先輩の姿を見て、彼女ができるなら私もできると憧れていましたね。日本語もばりばりしゃべれるし。よく日本語で喧嘩できるなって。私もそういうレベルになりたい。やっぱりこういう目標が大事ですね。

 

それから介護の学校に行ったとき。介護の勉強のとき、レポートも書かないといけないから。
きれいな日本語を書いている先輩がいて、彼女も独学で書けるようになったと言うので、私も頑張ろうと決心しました。先輩が、この本買ったらと言って教えてくれたので、買って家で勉強しました。もちろん仕事のためには覚えないといけない。先輩ができるんやったら、私もできると信じました。私はたぶん、学校で勉強するより、人に習って勉強する方が好きなのかな。後輩でもいいこと言うなと思ったら認めます。よく一緒に旅行に行っている子は私より5歳下だけど、彼女の考え方を認めています。
私がいつも正しいわけではない。人からいいところを学ぶ。

二人で話す女性たち

ただ少数の人と付き合うのはいいけれど、多くの人と付き合うのは苦手です。嫌いではないけれど、単なる付き合いではいかない。仕事では仕方ないけれど、プライベートでわざわざ時間を作りはしない。仲良い人には作るけれど。嫌われたくないからというのはない。

 

それだけ日本語ができるなら、もっといい仕事できるんじゃないと言われるけれど、情報がない。ネットワークもないし。一人でウェブサイトを探しているだけだから。
派遣の方が私にも都合がよかったけれど、もう夜の仕事は辞めたいね。歳だから。これからは昼間の仕事にしていきたいね。

 

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<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。