第13話 けいちゃん「貧しかった子ども時代」1

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.1> けいちゃんの場合

貧しかった子ども時代

 

子どものころ、私は貧しさから悔しい思いをたくさんした。
自分はまだいい。だけれど妹や弟に辛い思いをさせるのは耐えられなかった。
私が姉として、なんとかしなければ。
この貧しさをなんとかしなければ。
そう思いながら成長してきた。

 

私がまだ10歳そこそこの頃です。
私の家は貧しかったのですが、隣に住んでいた叔母の一家はうちほど貧しくはありませんでした。
あるとき、海外に出稼ぎに行っていた叔母の夫が、お土産をいっぱい持って帰ってきたことがありました。
うちの3歳の弟もその家に呼ばれたので、なにかもらえるのかなと期待していたら、もらったのは「おもちゃの箱」だったのです。
そうです、箱だけです。
幼い弟は、箱の写真を切って遊んでいました。
なぜわざわざ呼んで、空っぽの箱だけ渡すのか。嫌がらせとしか思えません。

 

さらにその後、路上を移動しながらアイスクリームを売っているおじさんが叔母の家の前に来たので、叔母の家族は全員分のアイスを買って食べましたが、弟の分は買ってやりませんでした。
すぐそばで弟は見ていただけだったのです。
私のお下がりのパジャマを着た弟は、アイスクリームが食べたいばかりに、アイス売りのおじさんの後をついて行こうとしました。
あんな小さな子を横目で見ながら、アイスクリームを自分たちだけで食べるなんて、ひどい仕打ちだと思いました。
だけど、うちには買ってやるお金はありません。

あのときの弟の姿を思い出すと涙が出そうになります。決して忘れられません。
私はいい、自分ひとりだけだったらなんとかなる。でも、家族にこんな思いはさせたくない。
私が家族を支えるという強い意欲が湧きたったのは、このことがきっかけでした。
今でもそのシーンがはっきり蘇ります。

 

 

●私の生まれ育った環境

私は、フィリピンの首都マニラのすぐそばのビンニャンシーという街で生まれました。
私が産声を上げたころ、この街はまだそれほど発展していない街でした。
ビルも少なく、車もあまり走っていませんでした。
近所の人たちが助け合う、昔の田舎の街で、親戚の人も周りにいっぱい住んでいました。
街に仕事口はそれほどありませんでしたので、多くの人はマニラの工場などへ働きに行っていました。
マニラへは、渋滞がなければジプニーやバスで、ビンニャンシーから20分くらいで行けました。
父も母も両親の祖父母も、そのまた祖父母もビンニャンシーで生まれ育ちました。
父と母の実家はお互いの窓と窓が見えるぐらい近くで、小さいころから知っている間柄でした。

 

父は、お金持ちの息子でした。父の両親はそれぞれビジネスをしていて、アパートもたくさん所有していました。
祖父は豚を飼育して、そのまま市場で売ったり、加工して丸焼きを売ったりしていました。
また、街で有名な伝統的なお菓子プト(米粉の蒸しパン)やクッチンタ(米粉のケーキ)などの製造販売もしていました。
テレビに出ている有名な芸能人が買いに来るほど人気のお菓子でした。

 

母の実家は貧しい家でしたが、母は親から大事に育てられました。
父と母が結婚するとき、父の実家からとても反対されました。
母は、お金目当てで結婚するのだろうと言われました。
でも父は母を愛していたので、二人で駆け落ちしたのです。その時、父は20歳でした。母も同じ年でした。
二人は駆け落ちして何日間か隠れていましたが、結婚式を挙げたかったので、親の元へ帰ってきました。
父は実家の許しを得て、結婚式を挙げました。

 

テレビドラマなどでよくあるように、母は夫の実家から「嫁いびり」を受けました。
結婚してすぐ、母は夫の実家の菓子製造工場で働かされました。給料は一切もらえませんでした。
母は私を妊娠中も働き続けることになりましたが、私はなんとか無事に生まれることができました。
母は、実際は給料をもらっていなかったのに、「お金を稼いで自分の両親にあげている」と周りの人に陰口を言われました。
そして結局、母は自分の実家に戻ることになりました。
くわしい状況はわかりませんが、私が生まれた後、どうしても父方の祖父母は二人を別れさせたかったそうです。

 

あるとき父の母(祖母)と父の妹(叔母)が示し合わせて、まだ赤ちゃんだった私を母から連れ去りました。
後から知ったことですが、父方の祖母は祖父の愛人で、祖父には別に妻がいました。
その妻(本妻)との間に子どもがいなかったので、私を本妻との間の子どもにしようとしたようでした。
祖父母が私を自分たちの養女にすることを、母は許せなくて、父と喧嘩になりました。
父は立場が弱いので、自分の両親になにも言えませんでした。

父は母と喧嘩して酒を飲み、酔っ払った状態で自分の馬に乗って家を飛び出し、事故に遭いました。
列車の線路に馬の足が引っかかって馬から落ち、大怪我をしたのです。
父が自暴自棄になった上に、母が私を返してくれるよう強く祖母に懇願したからでしょうか、ようやく祖母は諦めて私を両親に返しました。

 

▶︎第14話 けいちゃん「貧しかった子ども時代」2 へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。