File.4-8 子育て

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.4>愛さんの場合

子育て

 

うちはごく普通の親子、家族。怒ることもあるし、けんかもする。
昨日母の日でしたが、娘が花を買ってくれた。ちゃんと私のことを考えてるな、私のことを思ってくれているのだなと思う。

 

娘はとても育てやすかったです。学校の勉強もわからないということはなくて、参観日でも個人懇談でも、勉強はできるし特に問題はないと言われて育ちました。
日本での子育てで困ったといえば、診察のときぐらいかな。病院が一番困りました。お医者さんが話す専門用語がわからない。
それから、ママ友との付き合い方かな。フィリピンでも母親同士が仲良くなる、いわゆる「ママ友」はあります。でも日本で不安だったのは、幼稚園に子どもを送った後に、何人かのお母さんが3、4人集まって幼稚園の外で話をしているんです。1時間も2時間も。
何回か西村さん、おいでと誘われたことがありました。たいてい、私は仕事があるため参加しなかったのですが、あるとき私も体験してみようと思い、話の輪に加わったのです。あのサークルでなにを話しているのだろうと興味があったためです。

立ち話

ところが、参加してみると「なあなあ、知ってる?」と他のお母さんの悪口を言ったり、PTA会長の態度ややり方に悪口言ったり。PTAの予算がおかしいとか、あの予算はおかしいんちゃう? なにでお金を使ったのやろ、といった陰口を聞いたのです。私が参加していないときだったら、きっと私のことも言われてるんやろうなとすごく不安で。幼稚園は8時45分に始まるのですが、その後、ママたちが集まって話を始めると、2時間も3時間も話し続けるのです。昼ごはんどきになると、そのままランチに行ったりもするのです。
私は次第に嫌気がさして「私仕事があるから」と参加しなくなりました。そのグループのリーダー的なお母さんはおいでおいでとだれでも声をかけるのに、特定の人が通ると知らんぷりして声をかけないとか。私は娘に何かあったときの情報収集のためにそのサークル仲間に入ったのですが、やっぱり話が違ったり、いろいろ怖くなって参加しなくなったんです。そんな経験もありました。私は外国人だから、あまりひっぱり込まれなかったのかもしれません。他のお母さんがどう思っていたかはわかりませんが。何週間か悩んだりしました。こんな人がいるんだなと、フィリピンだけじゃなかったんだと思いました。フィリピンでも、よそのお母さんの家まで行ってお茶するなんてこともあるそうです。うちの母が幼稚園の先生だったため、そういう話を何度か聞いたことがあります。日本もあるんだなと思いました。困ったことといえばそんなところです。

 

あるとき、娘が幼稚園のとき、坂道で転んで顔を怪我をしたのですが、私が仕事中ですぐに連絡がつながらなかったことがありました。娘の怪我の傷はかなり深かったので、そんなときはすぐに幼稚園から病院に連れていってほしかったなと思ったことがあります。
そのときは文句は言いませんでした、モンスターペアレントと言われたくなかったから。フィリピンの小学校だと、怪我をしたらすぐに病院に連れていくものですから。日本はこんな対応なんだとショックを受けましたね。

 

娘が小学校のときは「お母さん、これどうやってするの?」と私に聞いてきましたが、中学生になってからは私のほうが「この漢字、どう読むの?」と聞くことが多くなりました。自分のほうがよくわかると思っているせいか、ちょっと生意気になってきました。英語は小さい頃から私が教えてきたのですが、最近は自分で勉強しているようで、私にはあまり聞きません。小中学校の漢字を私は一応知ってはいるのですが、あまり使わないと忘れてしまうので、娘に尋ねると、舌打ちされることもあって。娘に聞いたり、頼んだりすると、素直に答えてくれなくなりましたね。反抗期なんでしょうね。でもこれが続くと、私も傷つくし、いつか怒ろうかと思っています。
私は娘に対して怒ったりすることはほとんどありません。いつだったか、夏休みの宿題をしているときに、怒ったことがあります。私がどれくらい怒るのか見せておこう、という意図もありました。そのとき以来、怒っていません。もう3年間怒ってない。

 

お父さんと娘は仲良し。二人で出かけたら、お母さんを忘れてしまったかのように振る舞うのです。逆に、私と一緒だとお父さんのことを忘れてしまっているようなあっけらかんとしたタイプです。
でも、娘から、年に1回年賀状を私宛に送ってくれるのです。「お母さん、体に気をつけて、頑張ってね」など思いやりのある言葉を添えて。それがとてもうれしいです。一緒に暮らしている私にもくれるんだ、みたいな。

年賀状を書く子ども

娘はいろんな友だちや先生方に年賀状を送っています。自分の報告みたいな感じです。私にも年賀状が届くと思わなくてびっくりしました。それが4年生から始まりました。学校の授業で年賀状を覚えたみたいです。絵が好きだから、絵を書いていろんなところに送っているみたい。1年間は長いけれど、年に1回は娘からのメッセージをもらえる。毎日会っているけど、年賀状で違う気分になる。うれしい気持ちになります。
今娘は中学2年生ですが、娘とは日本語で会話します。娘はタガログ語の単語しかわかりません。英語は習い事として、私が教えています。娘には生まれたときから日本語で話しかけていました。日本では学校に入ると、日本語がメインになります。生活の中でもほとんど日本語です。だから日本語で育てました。
彼女はフィリピン語でも英語でも単語はわかるのですが、文章につなげることが難しく、まだ上達していません。

 

▶︎File.4-9 フィリピン の人たちを支える へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。