File.4-9 フィリピンの人たちを支える

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.4>愛さんの場合

フィリピンの人たちを支える

 

「フィリピンのものが食べたい」、日本での暮らしにストレスを抱えるフィリピン人のお母さんたちにフィリピンの食材を提供するとすごく喜ぶ。
美味しいもの、楽しいことでフィリピンのコミュニティをつなぎたい。

 

篠山市にそれほど大きくないフィリピン人のコミュニティがあり、そこで兵庫県の「子ども多文化共生サポーター」のことを聞きました。ある人から、自分は辞めるので私の代わりにやらないかと言われたのが、この仕事に手を挙げるきっかけでした。
サポーターは言葉がわからない人を助けたり、日本人に私たちの文化を紹介する仕事です。たくさんの日本語が必要だけれど大丈夫かと言われました。
私は、できるかどうかわからないけれどやってみたいと答えました。

 

最初はいきなり学校に行くのではなく、悩みのある人のための相談会の通訳でした。その次に学校の授業の中に入って子どものサポートをするようになりました。ゴルフ場と英語の教室と掛け持ちしていましたが、そのうちにゴルフ場をやめて、サポーターの仕事を中心にすることにしました。
フィリピンでは学校の先生になりたくて教育学を勉強したのに、先生にならないまま日本に来て、最初は残念でした。今では英語の先生や「子ども多文化共生サポーター」の仕事ができているので、あのとき必死に勉強した意味があったなと思います。この仕事を続けていければ満足かな。勉強したことが無駄になっていないと思うから。

黒板

今は三田市内の小学校が月曜、火曜、木曜、金曜、中学校に火曜日、午後は西脇市の中学校にフィリピン人の保護者対応の通訳に行っています。各校は離れているので車でまわります。今年はここ、来年はあちらの学校と、年度によって派遣される学校が変わるし、サポートする子どもの数も変わるので収入の上下があります。1年間でみると、収入が少ないときもあるし多いときもあります。
フィリピンの子どもは兵庫県では芦屋市や神戸市、淡路市で増えているようですが、三田市周辺はあまり変わりません。高砂市や加古川市はサポーターの人数が少なくて私が応援に行くこともあります。昔は三田市の教会にシスターがいて、フィリピンコミュニティがあったのですが、シスターがいなくなってコミュニティがなくなりました。篠山市にはカトリック教会がないので、フィリピン人、ブラジル人、ベトナム人など困っていますね。近くに教会があったら便利なんです。

 

フィリピン人の先輩が、自分は病気でコミュニティができないけれど、私にやれやれって言いました。先輩もフィリピンの食材や物品を扱うお店をやっていて、人が集まってコミュニティができたんです。だからそれを引き継いでほしいと期待されました。私はやり方がわからないので、先輩から教えてもらって、フィリピンの品を扱う専門の業者に連絡して発注し、オープンしました。4年前のことです。
オープンしたときは大変でした。だから私は運営に無理をしないようにしています。問い合わせがあっても電話は出ません。メールかメッセンジャー、あるいは直接ここに訪ねてきた人にだけ対応しています。
最初はテーブルもなく、看板もありませんでした。自分の時間があるときに綺麗にしたり、スペースを広げたりして、扱う品を増やしていきました。なかなか日本で手に入らない物品なのでみんなが喜んでいます。
英語教室をしながら掛け持ちでやっているので、私が授業をしているときに買い物に来た人から「先生、お会計して」と言われることもあります。授業で、スピーキングやヒアリングのときは待ってもらっていますが、ライティングのときにぱぱっとお会計します。だれかやってくれる人がいたら頼みたいぐらいです。教室には親が月謝を払っているので、途中で抜けたりすると親がなんと思うか気になるのです。多文化共生サポーターの仕事で満足しているので、だれかやりたい人がいたら任せたいと考えています。
テクノパークという工業団地が近くにあるのですが、そこで働く技能実習生の子たちが二人自転車で土日に来て、手伝ってくれます。値札を貼ったり、在庫をチェックしたり。月曜から金曜日はお客さんは多くないから、手伝いは土日だけで大丈夫なんです。

 

三田市の教会にシスターがいらっしゃったときは、フィリピン人がグループを作って教会で月に1回集まっていました。堅苦しい集まりではなくBBQしながら、ワイワイしながらおしゃべりする楽しい集まりです。「あなた大丈夫?」「困っていることない?」とおしゃべりの中で、話を聞きます。
日本人のつくる「なんとかの会」という畏まった集まりにはフィリピン人は来ないです。頭使うのは外国人はきらい。日本人も同じだと思いますが。ワイワイしながら「最近どう?」みたいなコミュニティをつくりたい。何か楽しいことしながら「在留期限切れるんだけど、助けてほしい」とか「この登録方法がわからないんだけど、どうしたらいい?」とか。あるいはここで買い物しながら、立ち話のようにして。窓口を置いて「どうぞ、相談してください」ではなくて、気軽に買い物したり、ご飯食べたり、お茶飲んだりしながら、話すと吐き出しやすい。前の先輩がやっていたやりかただったんです。私も何回か参加したことがありました。
あるとき、誕生日会だったかな、お話ししながら美味しいもの食べたりしながら、いろんな話を聞いていました。「うち、こんなのなんだ」とか聞いてましたね。みんなが帰ったあとに、その先輩がメモをしていて、いろんな相談を記録していました。ビザが切れるとか、入管まで連れて行ってほしいとか、こういうのも相談に入るんだよって言っていました。私にはそれが参考になったのです。フォーマルなやり方では、本当の悩みを出しにくいんです。
宝塚市や神戸市から来る人たちは最寄りの相野駅まで電車で来て、私が迎えに行くこともあるし、10分から15分くらい歩いてくる人たちもいます。土日には必ずだれか来ます。買い物する人もいるし、ジュースだけ飲んで帰る人もいます。私は軽く、「昨日何してたの」とか「子ども元気?」とか聞くだけ。聞き込むとみんな嫌がる。

 

バナナ(黄色・緑)

グリーンバナナとかパパイヤとか、レモングラスとか、フィリピンの食材を求められることもあるので、宅配便で送ることもあります。
西脇市のある小学校の相談会で、フィリピン人のお母さんが周りに話をする人がいないと言って、その場で自分のことを全部吐き出していきました。話しているときにフィリピンのこれを食べたい、と言ったんです。夫や子どものことでストレスを抱えていて、故郷のものが食べたいという人がいます。そんな人から着払いで送ってくださいって言われます。とても喜ばれています。
聞くと、その人の職場にはたくさんフィリピン人がいるそうです。「私の知っている学校の通訳の先生がお店をやっているよ」とフィリピン人たちに話したらしく、そのフィリピン人たちの注文をまとめてとって、次の相談会に私が持っていくようになりました。私もまさかこんな流れになるとは思っていませんでした。プランになかった。最初はフィリピンの物品を扱うお店をやっていることを言ってなかったのですが、フィリピンに送るための大きい段ボールを探していると言われると、うちにあるよ、お店やっているから、というふうに話しているうちに、口コミで広がりました。

 

夫は応援しないし、手伝わないけれど、なにも言いません。家のことをちゃんとすれば何も言わないよと言われています。家のことはちゃんとやって。こっちはできなくても何も言わない。三田市から他府県に引っ越しした人に発送することがありますが、荷物の発送手伝いもやってくれない。娘のことはお願いできるけれど。
こちらからもここのお店のことについてや、フィリピン人のことを夫に話しません。これは私の仕事、世界だからそれでいいと思っています。

 

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<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。