File.1-11 学びたい2

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.1> けいちゃんの場合

学びたい(前回のつづき)

 

●人の力になりたい

この46歳から47歳にかけての1年は、私の人生にとって大きな分かれ目になった年でした。
マサヤンタハナンのメンバーになり、夜間中学校に入学し、ほどなく弁当づくりの会社を辞め、神戸国際協力交流センターでの仕事を始めることになりました。
こんな転換期がくるとは正直思っていませんでした。
会社を辞めてしまったら、自分ももう若くはないし仕事もないから専業主婦になっても仕方がないかと諦めかけていましたが、翻訳や通訳の仕事へとつながり、本当に自分は変わったと思いました。
もっと勉強して、物事を知りたい、学んだことを生かして人の力になりたいと、ますます強く思うようになりました。

 

かつては、私のところにやってくる友だちや知り合いの相談には、話をきいて自分のわかる範囲で少し助言をする程度でした。
でも、もっと多くの複雑な問題を抱えている人がたくさんいるということを知りませんでした。
同行通訳の仕事などの中で、さまざまな問題を聞くようになり、なぜこうした問題が起こっているのだろうと考えました。

一つの理由が「言葉」にあるという考えにいきついたのです。
だから、もっと伝えたいと思いました。
日本で生活をするなら、日本語の勉強もさることながら、日本の文化や法律のことも知る必要があると、日本に住むフィリピン人や外国人の人たちに伝えたいのです。
だから私はもっと多くの人と関わろうと思いました。

 

●日本語の習得が大切だと思う理由

子どもの通う学校から電話がかかってきても、出たくない、と思ってしまう外国人は多いと思います。
先生から何を言われているかわからないし、当然答えられない、だから不安なのです。
たとえば、懇談などで学校に行かなければいけないとわかっていても、学校から手紙がきても、何を話されるかわからない、理解できないから答えられないという考えが頭をよぎるので、行けないという外国人の母親は少なくないと思います。
決して子どもや子どもの教育に関心がないわけではないのです。

 

今はありがたいことに「子ども多文化共生サポーター」の制度があり、母親のためのサポート制度もできました。
ただこうした制度を活用しながらも、外国人の母親自身も努力しなければいけないと感じます。
子どもを理解し、子どもとの会話を続けるために自分も日本語を習得すべきだと思います。
子どもは、コミュニケーションが取れないとそれ以上会話をするのを諦めてしまいます。
「もう年だから」と諦めないでほしいと願っています。
年齢は関係ないと、私自身の経験から皆に伝えていきたいです。

 

マサヤンタハナンの日本語教室に参加しはじめたときは、それまでの独学で少しだけ日本語の読み書きができるようになっていました。
ひらがなとカタカナ、それと簡単な漢字が読める程度で、いくつか書ける漢字がありましたが書き順は適当でした。
夜間中学校に入ってから初めて正しい書き方を学びました。
自分の思っていることを言えるようになったのは、中学校を卒業して少し経ってからです。

 

今でも流暢というには程遠いですが、どうしても我慢できないときは一気に日本語がほとばしり出てきます。
あるケースの付き添いで、警察であまりにもひどい対応をされたので喧嘩したことがあります。
どうしてそういうことなるのだ、あまりにひどいのではないか、など警察官相手にまくしたてました。
こんなに一気に話すことができるのかと自分でも驚いたほどです。
だけど、そういう場面でもない限り、普段の生活では今でも積極的には話せません。

 

勉強する中で社会のさまざまなことに関心が広がりました。
昔はテレビのニュースを見ても、私には日本の社会のことは関係ない、と思っていました。
ところが今は、たとえば、インターネットの偽サイトで給付金詐欺が起こっているというニュースを聞くと、フィリピン人や外国人の仲間に騙されないように注意をしてほしいと、伝えたくなります。

気になったことはさらに調べて情報を集め、より深く多面的に知ろうと努力しています。
日本語を学ぶことが自分のモチベーションを高める一つの力になり、さらにそこから社会や他者への関心につながり、もっと知ろう、もっと人と関わろうという情熱につながっています。

 

 

●「どこへ向かっているの?」

休みの日や夜も勉強に没頭し、忙しく仕事や支援活動に勤しんでいると、息子たちはときおり「お母さんはどこへ向かっているの?」と尋ねてきます。
私は「お母さんもどこへ向かっているかわからない。けれど、とりあえず自分のできることを精一杯やるの」と答えています。
夫からは「俺より詳しいね。俺のわからないことも、お前のほうがわかるようになったね」と感心しています。

 

子どもの母親、日本人の夫の庇護を受ける外国人の妻、という存在を超えて、私がひとりの市民として日本社会を支える一員になっているという自信がお腹の底に湧いているような気がします。

 

▶︎File.1-12 貧しかった子ども時代1 へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。