第3話 けいちゃん「私の日本の家族」2

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.1> けいちゃんの場合

私の日本の家族(前回のつづき)

 

●日本での暮らしが始まる

 

それから少し経って、私は再び日本に降り立ちました。
入国手続きに時間がかかったため、神戸で夫と暮らし始めたのは結婚式から3ヵ月後、私は27歳になっていました。
幸せな感覚もあった一方で、新しい土地、国、言葉、文化の中での暮らしが始まると思うと不安がいっぱいでした。

 

日本にきてからしばらくは友だちが全然できませんでした。言葉が通じないので怖かったのです。
夫は私に友だちができるよう、夫の同僚たちの家族と一緒にピクニックにいったり、いちご狩りにいったりしましたが、他の人が何を話しているのか、自分のことをどう思われているのかと思うと怖くて、行きたくなかったというのが正直なところでした。

 

私の不安に寄り添い、穏やかに暮らせるように心を砕いてくれたのは夫でした。
夫は日本人男性としては少し特異なのかもしれません。
彼は困っている人を見ると放っておけず、妻の私が外国人だからということもあるかもしれませんが、外国の人には特に何かと世話を焼くのです。

 

中には困りごとを抱えたフィリピン人もいて、日本で暮らし始めて少し経つ頃には、夫とともに彼らの相談に乗るようになりました。
ある夫の同級生がフィリピン人の女性と結婚したのですが、妻が悩んでいるようなので話をきいてやってほしいと相談を受けたこともあります。
こうしたフィリピン人たちとの交流によって、おそらく夫は日本に住む外国人の状況について理解を深めていたのではないかと思います。

 

今私は、相談通訳などをしていますが、私が受けた相談についても、夫が一緒に考えてくれるときがあります。
「今日はどんな相談だったの」と聞いてくれたり、私が対応方法に悩んでいると、「大丈夫かい」「それはあかんなあ」「その問題はなんとかならないのか」などと、心配してくれたりします。
夫は私の活動を応援してくれていると感じます。

彼は勉強会場などへも送迎してくれ、終了時間が遅くなるときも、夫は外で終わるのをじっと待っています。

 

もちろん、夫は完璧な人というわけではありません。
夫は公務員で幸い収入が安定しているのですが、人への気遣いが深いためか、とても気前がよく、お金に対して少し緩いところがあります。
子どもができてからしばらくして、私が家計のやりくりを任されるようになったのですが、知らない間に夫が使ってしまっていたことがありました。
私はそんな状況ではやりくりできないから、「自分でやって」と家計管理の責任を夫に返しましたが、彼は手元のお金がなくなっても、親に借りたりして自分で工面し、絶対に食べる物の苦労を家族にさせませんでした。

 

夫の金遣いが粗い性格は治らないとあきらめ、私は私で稼いだらよいと割り切っています。
こうした受け止めが、夫婦仲がうまくいっているコツの一つではないかと思います。
夫は私にとって一番の理解者であり、友だちです。

 

▶︎第4話 けいちゃん「私の日本の家族」3 へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。