サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(4)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

vol.1 けいちゃん

1.私の日本の家族

 

●日本での子育て

 

もともと子どもがすごく好きなので、自分の子どもができたとき、とても嬉しかったです。
長男の出産時はフィリピンから母親を呼び寄せました。
初めての出産で、どうしたらいいかわからなかったので、夫が私の母親に来てもらおうと提案してくれました。
そのときは自分の母親がそばにいたので、大変ながらも産後を乗り切ることができましたが、次男の出産時には母親は体調がよくなくて日本に来ることができず、近くに住む夫の母親にも頼るのが難しく、私一人でこなさなければなりませんでした。

 

子育てに関する情報はもっぱら夫からでした。
夫が子育て情報誌を買ってきてそれを読んでくれたり、テレビ番組から情報を見て伝えてくれたりして、育児方法を学びました。
日本では保健師による育児相談などがあるようですが、そんなサービスがあることを知らなかったので利用したことはありません。
子どもの様子でなにかあったら、いつもかかりつけの小児科医に相談していました。

 

次男が生まれたときは、長男はまだ1歳8ヶ月で手がかかる状態だったので、私は自分の寝る時間も取れずに疲れ切って、いわゆる産後うつの状態に陥ってしまいました。
どうしたらいいのか、これから自分はどうなるのか、苦しみました。
子どものことで毎日がいっぱいいっぱいで、自分の存在がなくなっていくような感覚でした。

 

夫が夜勤のときは、一人きりで子どもたちを寝かしつけなければならなかったのですが、
なかなか寝てくれませんでした。
次男は昼夜が逆転してしまっていたので、私は昼間に家事や育児をし、夜間も眠らない子どもの世話をしなければならず、眠るタイミングが見つけられませんでした。

 

夫は、そんな私を心配し、休みの日には家族で外に出かけたり、日曜日に教会へ連れていってくれたりして気分転換できるように気を配っていました。
私がしんどいということを感じてくれていたのだと思います。

 

そのころから、夫は私が寂しくないようにと、
教会で知り合ったフィリピン人の友だちを家に招くようになりました。
教会でフィリピン出身の友だちに夫が声をかけてくれ、まるで自分の友だちのように大切に扱ってくれました。
そのせいか、家には私の友だちだけでなく、その友だちや知り合いという具合に、どんどん人がやってきて、
しょっちゅうパーティやバーベキューをして賑やかにしていました。

 

パーティのあと、子どもたちの遊び部屋だった和室にみんなが雑魚寝してしまい、翌朝私の知らない人までが部屋に寝ていて、驚くこともたびたびでした。
パーティで集まる人数は、多いときで20名ほどになりました。
夫のそういう心遣いがとても嬉しかったです。
おかげで、うつ状態はそれほどひどくならず、まもなくよくなっていきました。

 

フィリピンとの子育ての違いを感じることはありました。
日本は比較的安全な社会なのに、子どもを自由に遊ばせなかったり、禁止事項が多かったり、窮屈だなと感じます。
また、私はいわゆる「ママ友」も作りませんでした。
公園で子どもを遊ばせている間の、母親同士の会話は私には全然面白くないし、お互いの家に行き合う習慣も好きじゃなかったのです。
子どもたちは自由に遊んでくれればよいと思っていました。

<続く>


<奈良雅美プロフィール>奈良雅美プロフィール写真
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。

小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。