はじめに
フィリピンの国の花はジャスミンだ。フィリピンの言葉タガログ語で「サンパギータ」という。
日本人にとっての桜が特別な花であるように、フィリピンの人々はジャスミンを教会に飾ったり、客を歓迎するレイとして用いたりするなどして、この花をこよなく愛している。凛として香り高い小さな白い花、サンパギータは日本で生きるフィリピン女性たちの姿が重なる。
私はこの物語に登場する女性たち一人ひとりを「サンパギータ」と呼びたい。
日本には多様な国や文化をルーツにもつ人々が住み暮らしていて、2019年末ではおよそ262万人の外国籍の人がいる。
フィリピン国籍の人はおよそ28万人余り。そのうち19万人余りが女性で、非常に女性の割合が高くなっている。
とくに、30歳代から次第に女性の方が同世代の男性よりも多くなり、40歳代になると10倍以上も女性の方が多い。
50歳代では男性の3倍で、20歳代以下の男女比は大体同じくらいである。
他の国籍の男女比を見てみると、中国やタイなども女性の方が多くなっているが、フィリピンの場合、特にその差が目立つ。
なぜこの世代に女性の方が多くなっているのか。
もちろん仕事のために居住する人(介護や看護、家事労働など)、留学生、技能実習生もいるが、フィリピン女性の場合、特に国際結婚で日本に暮らすようになった人が多くを占めている。
1980年代から90年代にかけて「興行」(エンターテイナー)の在留資格で年によっては数万人のフィリピン女性たちが斡旋業者などを通じて来日していた。彼女たちの中には、日本男性と結婚し日本に定住する人がいた。
2005年に同在留資格の取得条件が厳しくなったため、その数は翌年には10分の1程度まで激減したが、今でも日本男性との結婚のために日本にやってくる女性は年間3600人余りに上る(2017年)。
遡れば1980年代ごろから、フィリピンなど「アジア人花嫁」が、人口流出に悩む地方の農業地域などで後継男性の妻として迎えられてきた。現在40歳代、50歳代のフィリピン女性が多いのはそうした時代の背景もある。
しかし20年、30年と日本に暮らしているにもかかわらず、日常の彼女たちの様子はあまり浮かび上がってきていない。
日系ブラジル人やベトナム人のように集住していないというのは理由の1つだが、「エンターテイナー」としてのフィリピン人女性といった社会的なイメージもあるかもしれない。そして言語の問題もある。
長く日本に暮らしていて、日本語の会話はある程度できるものの、日本語の読み書きができない人が少なくない。日本語中心の社会の中で、自分の考えや思いを発することが難しいのだ。
私は、すでに顔がみえていて言葉を発する機会をもつリーダーの語りではなく、一人の市民として生きるフィリピン女性「サンパギータ」たちの語りを聴き、その言葉をつづり、社会へ伝えたいと思う。
2019年、日本は労働者として外国人を受け入れる方向へ政策の舵を切った。
コロナ禍のため一時的には抑制されるだろうが、人口減少社会に突入した日本では海外からの人の受け入れは不可避だと考えられる。
そのため、これからさらに移住者を受け入れ、共に暮らし社会を作っていくことになるだろう。
その中で、フィリピン女性たちの長年日本に暮らしてきた知恵や経験は社会の財産とも言える。また彼女たち自身も日本の社会の役に立ちたい、支えたいと言う。
そんな「サンパギータ」の思いを、この物語が社会へと橋渡しをしてくれるのではと期待している。
奈良雅美
奈良雅美(なら・まさみ)
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。