サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(2)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

vol.1 けいちゃん

「けいちゃん」は日本人の男性と結婚して、日本にやってきたフィリピン女性だ。
本名があまりに長いため、夫の母が名前の中ほどにあった「ケイ」をとって「けいちゃん」と呼んでくれたのがとても気に入っている。
筆者は2020年の終わりに、神戸市にあるけいちゃんが事務局長を務めるNPOの事務所でインタビューをした。

けいちゃん

 

1.私の日本の家族

 

日本で新しく自分の家族をつくる。私にそんな幸せな人生が待ち受けているとは、夢にも思っていませんでした。
フィリピンでは働かない父のために学業を途中で断念し、妹や弟のために必死で働いてきました。
そんな日々の中で、自分の将来に対する期待や希望も霞んでしまっていました。
私は一生結婚しない、一生働いて生きていくのだと思い込んでいたのです。

 

1994年4月。私は初めて神戸の街に足を踏み入れました。
阪神淡路大震災によって倒壊した建物をそこここに見て、フィリピンのニュースで聞いていたよりも、ずっとひどい状況に言葉もありませんでした。
街の様子を眺めながら、どれほどの人が傷つき、亡くなったのかと思うと胸が締めつけられる思いがしました。
もちろんそのときは、自分がこの街で家族を持ち、暮らしていくことになるなど、想像もしていませんでした。

 

当時、私は次の仕事を探す前に少し休みを取りたいと思い、淡路島に住んでいた母方のはとこに誘われて、日本に遊びにやってきました。
私は彼女の経営するスナックへ遊びに行き、たまたま客として訪れていた男性と知り合いました。
その男性は、淡路島に住む友人が被災したのを心配して他の友人と一緒に島にやってきていました。
彼らはスナックの従業員たちと意気投合して、島内のテーマパークへ遊びに行くことになり、私も誘われたので、みんなで遊びに行きました。
そのときは、ただそれだけで終わりました。そのうち6月になり、私は短期滞在の在留期間が切れる前にフィリピンへ帰国しました。

 

ところがまもなく、はとこから連絡があり、その男性が私と結婚したいから、私の連絡先を知りたいと言っているというのです。
1、2度あっただけだというのに、あり得ません。私はまったく彼に関心がありませんでしたし、自分の父親には非常に苦労させられたので、結婚は一生しないと決めていました。
はとこからは、「フィリピンへ彼が行くと言っているから遊びに連れて行ってあげて」と説得されてしまいました。
しぶしぶ了承したものの、彼が本気であるとは少しも思えず、遊びにきて帰るだけだろうと考えていました。

 

実はその時点で、すでに彼は私と結婚するつもりでフィリピンに来ていたらしく、私の知らないうちに親戚中を回って結婚の挨拶をしていたのです。
親戚は突然やってきた日本人男性のことを受け入れるわけもなく、宗教が違うとか、結婚の手順が難しいとか、私は喫煙する人が嫌いだということを言って、あきらめるよう説得しました。
しかし、彼はあきらめるどころか、そのすべての条件をクリアしたのです。

 

言葉もろくに話せないのに、カタコトの英語で懸命に一つひとつ乗り越えていく様子を見て、私は次第に彼を意識するようになりました。
私の父親代わりだった母方の伯父が、彼の真摯な様子をみて、彼なら私も幸せになるのではないかと承諾したのです。
伯父は、「うちの姪を悲しませたらただではおかないぞ」と彼にきつく言いましたが、彼は大きくうなずいていました。
でもきっと、伯父の言ったことをちゃんと理解していなかったと思います。

 

フィリピンの結婚式

 

彼は禁煙し、カトリックの勉強をして改宗してくれました。それからふたりで挙式の教会や執り行う神父を探し、披露宴の会場を当たりました。
準備の過程で、次第に自分が結婚するという実感が湧いてきました。
結婚式の当日には、彼の同級生の友だち2人が日本からフィリピンにやってきて付添人を務めてくれました。
彼の母親は体調のことがあり列席できませんでしたが、彼の父親が日本から駆けつけてくれました。
式の準備から当日にかけて、戸惑いつつもしだいに私の心の中に、幸福感が広がっていきました。

<続く>


<奈良雅美プロフィール>奈良雅美プロフィール写真
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。

小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。