第19話 けいちゃん「父への憤り」4

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.1> けいちゃんの場合

父への憤り(前回のつづき)

 

●母に教えてもらった「学ぶ喜び」

他方で、母は私にさまざまなことを教え諭してくれました。
今でも母は、友達であり、先生みたいな人です。
母は賢い人で、私が小学校に入る前から熱心に勉強を教えてくれました。
そのおかげで、私は小学校を2年飛び級しました。
母はきょうだいの中では一番賢かったから祖父母が頑張って進学させてくれ、専門学校で事務の勉強をしたそうです。
けれど、卒業したらすぐに結婚しました。
父は自分が働かないくせに、母には働かないでいい、外に出るなと言いました。
焼きもち焼きだったのです。でも母は働きたかったそうです。

ノート

 

そんな父でしたが、母は父のことをたぶん好きだと思います。
だから母は我慢したのだと思います。
父とはたまに喧嘩することはありますが、あまりうるさくは言いません。
喧嘩しているのを、私はあまりみたことがありません。

 

子どものとき、母がいつも言っていたことは、どんな時も笑顔でいたらみんなも笑顔になれるから、笑顔でいなさいということでした。
悩みがあっても悩んでも解決しない、笑顔で冷静にいることが大切と言われました。
だから私は、周りの人に変な人と思われているのではないかと思うけれど、すぐに笑顔になってしまいます。
小さい時からです。たまに笑顔になることを我慢しているほどです。
友達からも、なぜあなたはいつもニコニコしているの? と聞かれていましたが、「勝手にそうなるのよ」と答えていました。

 

 

●学校へ行きたいという思いを抑えて

学校に通っていた頃の夢は、エンジニアになることでした。
でも家が苦しいので、それは諦めて、仕事をしながら経理の勉強をしようと思っていました。

 

小さいときから遊びよりも勉強のほうが好きでした。
勉強するのは当たり前だと思っていました。
3歳の時から遊びの代わりに、母は自分でいろいろ工夫して勉強を教えてくれました。
それが楽しかったのです。
学校に行くのも大好き。本当はきょうだいたちが卒業したら、いつか自分が学校へ行こうと思っていました。
父に学校へ行きたいといったら、行かなくていいと言いました。
「どうせ途中でやめて早く結婚してしまうんだろう」と言うのです。
そんな言われ方をしてすごく辛かったです。なんでそんなふうに父は考えるのだろうと思いました。
普通、親は子どものやりたいことを応援するものだと思うのです。
私が勉強しようとしているのに、父は決して応援はしてくれませんでした。

夕焼け

 

大人になってからも学校へ行っている夢をよく見ました。テストの日の夢とか、忘れ物をする夢とか。
目が覚めて、夢だったと気づくと切なくなりました。
でももう学校行くのは諦めていました。
そして、一生結婚しない、一生働くと心に決めたのです。

 

▶︎第20話 けいちゃん「新しいステージへ」1 へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。