File.2-5 大切な私のお店

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.2>マユミさんの場合

大切な私のお店

 

私のお店だ! 

自分で商売をスタートできたとき、本当に嬉しかったですね。
それから、まるで我が子のように大事に育ててきました。いつか自分の商売をしたいと思っていたので夢が叶ったと思いました。お客さんにも喜んでもらえたし、やりがいがありました。

 

フィリピンに帰って、私はJPモルガン・チェース(アメリカに本社を置く世界有数の総合金融サービス会社)の関連会社で住宅ローン担当の仕事をするようになりました。
いずれ、自分でビジネスを始めようと考えていました。
その準備として私は月曜日から金曜日まで仕事して、土曜日はランドリーの仕事をするようになりました。土曜日は父が老人ホームに行くようになり、体が空いたからです。
ジョセフィーヌ姉さんに相談し、ランドリービジネスを始めたいといったら賛成してくれました。
そのとき私は29歳でした。
ダディは軍人だったので土地を安くで買うことができ、給与から毎月少しずつ貯めて、いくつか土地を購入していました。その土地の中から、私はマーケティングをして店を建てる場所を決め、必要な機器を揃えました。

洗濯バサミ

店の名前はJLH(Just like home)ランドリー。洗濯物は1キロあたり25ペソで引き受けました。
ビジネスは当初から順調に進みました。顧客向けのキャンペーンも工夫しましたよ。例えば10キロの洗濯を持ち込んだら割引をするなどのサービスメニューを考えました。店舗でリサイクル品を販売したりもしました。
他人を雇う余裕はなかったので、姉や義理の姉たちに手伝ってもらいながら家族で経営しました。家族に大きなランドリー会社へ研修に行ってもらって、技術を身につけてもらいました。起業に必要な資金はすべてジョセフィーヌ姉さんに提供してもらっていたのですが、経営は私が中心になって自分の子どものようにビジネスを育ててきました。洗濯物の受け渡しをするだけの支店として2軒目のお店もオープンすることができました。

 

ただ困ったことが起こるようになりました。姉は私とはビジネスの捉え方が全く違っていたのです。
私は、ビジネスのお金はビジネスで回す方針でしたが、姉は困っているきょうだいがいたら事業からお金を融通して渡そうとしました。
私はビジネスを成功させたかった。困っているきょうだいがいるならお金をあげるのではなく、ビジネスの技術を共有しそこで仕事ができるようにしたかったのです。
姉は私の考え方が理解できませんでした。私は自分が育てていた甥っ子に店番させて、役所に出かけたりすることもありました。彼はまだ10歳程度でしたが喜んで、学校終わりに仕事を手伝ってくれました。
そうやって子どものうちから仕事で収入を得る考え方を身につけられるように育てました。お金がなかったら、家族からもらうのではなく自分で稼げるようになるのが大事だと私は思います。

 

店の名前の由来の通り「家で洗うように丁寧に洗います」というのがJLH(Just Like Home)のモットーでした。
店は、洗濯だけでなく、お客さんとのコミュニケーションの場でもありましたね。助け合ったりしてね。楽しかったです。
だけど、義理の姉が個人的にお金を使い込んだりして、何度も大げんかし、そのうち私は耐えられなくなって5年で経営を退きました。
我が子のように大切にしてきた自分のビジネスが死んでいくのを見たくなかったのです。

暗い空

 

▶︎File.2-6 もう振り回されたくない へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。