File.3-7 挫けない私の描く将来の夢

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

サンパギータ 日本のフィリピン女性たち(奈良雅美)

 

<サンパギータFile.3>リザさんの場合

挫けない私の描く将来の夢

 

チャレンジ。そう、いつでも私はチャレンジしてきたし、これからもいっぱい学びたい。
夢を叶えたいと思っています。

 

日本語の会話はタレントの時に仕事の中で学びました。タレントとして、お客さんと話したり、クライアントとやり取りしたりするには日本語が必要だったから。私の仕事はコミュニケーションが大事です。

ただ、ひらがな、カタカナは読み書きできるようになったけれど、漢字を書くのは難しいわね。神戸に暮らすようになってからは「たかとりコミュニティセンター」(神戸市長田区)で開かれていた日本語教室で勉強しました。今は日本語教室のマサヤンタハナンで勉強しています。
今では私の基本的なライフスタイルは日本式、言葉は日本語。言葉はずっと続けて勉強すれば、必ず使えるようになります。地域の日本語教室は無料で開かれているし、日本はどこへでも自由に行けますね。

神戸

本当は私はいつか学校へ戻って勉強したいと思っているの。今は仕事だけの生活だけれど。そういう希望もある。たとえ歳を取ってもチャンスは開かれていると信じている。カレッジに戻って学位を取ったら、仕事のステイタスも変わると思う。もっと勉強したいわ。

 

シンガーとしての私は、もっといい歌を歌いたい。
私は決して完璧主義ではないけれど、もっと練習して歌いたいです。提示された歌を完璧に暗記し、練習したいんです。
本当は歌だけで生計が立てられたらと思いますが、それは難しいです。1ステージでたとえ5000円、1万円をもらえたとしても、定期的にステージがあるわけではないので収入として安定していないでしょう。定職について収入を得る方が安定していますよね。
でも今のやり方がいいのは、自分でマネジメントしているのでエージェンシーにコントロールされることがないの。中抜きをされないですしね。

 

悲しいストーリーが多いけれど、ハッピーストーリーもあるのよ。仕事は充実していて楽しかった。歌って、歌って、歌った。
今は清掃の仕事とバーで歌の仕事をしています。私は自由に働くことができますから。家に遅く帰っても誰も待つ人はいません。そんなライフスタイルに慣れているのよ。今は朝4時に起き支度をして5時に家を出て、ビルの清掃の仕事に出かけます。平日毎日3時間半。以前は介護の仕事をしていたけれど、体を壊したので短時間の仕事に変えました。
昼間は元気があれば別の仕事もするの。翻訳の仕事とか歌の仕事も。来年はもっと安定した仕事、英語の先生に転職するつもりよ。ベストを尽くしたい。

電車に乗り込む人たち

今はコロナで多くの人が仕事を失い、新たな仕事を見つけるのが難しくなっています。日本で暮らしていくために安定が必要なのです。私は次第に歳をとっていきます。だからお金を貯めなきゃいけない、将来のためにね。

 

▶︎File.3-8 ずっと心の支えは息子だった へ続く


<話を聞いてまとめた人>奈良雅美プロフィール写真
奈良雅美(なら・まさみ)
特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクト代表理事。関西学院大学非常勤講師。ときどきジャズシンガー。
小学生のころから「女の子/男の子らしさ」の社会的規範に違和感があり、先生や周りの大人に反発してきた。10代半ばのころ、男女雇用機会均等法が成立するなど、女性の人権問題について社会的に議論されるようになっていたが、自身としてはフェミニズムやジェンダー問題については敢えて顔を背けていた。高校時代に国際協力に関心をもち国際関係論の勉強を始め、神戸大学大学院で、環境、文化、人権の問題に取り組む中で、再びジェンダーについて考えるようになった。
 大学院修了後、2004年より特定非営利活動法人アジア女性自立プロジェクトの活動に参加。途上国の女性の就業支援、日本国内の外国人女性支援などに取り組む中で、日本に住むフィリピン女性たちに出会う。社会一般の彼女たちに対する一様なイメージと違い、日々の生活の中で悩んだり喜んだりと、それぞれ多様な「ライフ」を生きていると感じ、彼女たちの語りを聴き、残したいと思うようになる。移住女性や途上国の女性の人権の問題について、より多くの人に知って欲しいと考え、現在、ジェンダー問題、外国人や女性の人権などをテーマに全国で講演も行っている。